晩年
ショパンの生涯・生い立ち
病に侵されたショパンの晩年はあまり恵まれたものであったとは言えません。また、この時期は作曲もほとんどされていないのです。
イギリスへ
1848年2月、ショパンはパリで演奏会を開く。これがパリでの最後の演奏会であった。これ以後ショパンはパリで公の前に姿を表すことはない。ショパンは舟歌の最後のffの個所をごく弱い音で弾いたという。ショパンには強い音を出すだけの力は残っていなかった。
この年、ショパンは弟子に勧められイギリスへ出かけることになる。ロンドンでは貴族の館で行った数回の演奏会を開き、ほかに音楽夜会に参加したりした。次にスコットランドに行った。ロンドンからエジンバラまで、当時はまだ珍しい列車で移動した。
ショパンはスコッドランドの閑静さが気に入った。ある手紙の中で「生涯ここで暮らしたい」と述べている。しかしショパンの病気は悪化の一途をたどる。そして11月末にはパリの戻ることになる。
パリでの最後
パリに戻ってきたショパンは孤独な冬を過ごした。1849年の夏、ショパンはシャイヨーに新たな居を構えた。ここは日当たりのいい場所であった。6月にはショパンは姉ルイーズに手紙を書いた。「できることならパリの来て欲しい」。ショパンは何よりも家族や故郷ワルシャワのことを考えていた。
姉ルイーズがやってきたのは8月に入ってからであった。この再会はショパンにとってはたとえようのない喜びであった。ショパンは9月にはヴァンドーム広場の近くに引っ越した。すぐ近くにはマドレーヌ寺院がある。この家には多くの友人や同郷人が見舞いに訪れた。10月になるとショパンの容態はいよいよ悪くなる。
10月17日、ショパンは姉や友人達に看取られつつ、ついに息を引き取った。享年39歳。死の一月前に引越しを行ったという事実から推測できることは、ショパン自身は自分が死ぬなんてまだ先のことだと思っていた可能性がある。
葬儀
ショパンの葬儀は10月30日にマドレーヌ寺院で行われた。モーツァルトのレクイエム、ショパンの前奏曲作品28の内、ホ短調とロ短調の2曲などが演奏された。ショパンの遺体はペール・ラシェーズに葬られた。しかしショパンの心臓はワルシャワに持ちかえられ、聖十字架教会に置かれた。ショパンの葬儀にジョルジュ・サンドの姿は無かった。
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