青春とピアノ協奏曲
ショパンの生涯・生い立ち
ショパンの青春とピアノ協奏曲は密接な関係にあります。その鍵となる人物は「コンスタンツィア・グラドコフスカ」です。
コンスタンツィア・グラドコフスカ

ショパンはヴィーンから戻って数ヶ月の間にピアノ協奏曲に着手している。このピアノ協奏曲は今日の「ピアノ協奏曲 第二番 へ短調」である。1829年、ショパンが親友のティトゥスに宛てた手紙で恋に落ちていることを告げている。「不幸なことに僕には理想の女性がいる。彼女への想いで、ピアノ協奏曲のアダージョとワルツを書いた。・・・」。その相手とはコンスタンチア・グラドコフスカである。
彼女はショパンと同じ音楽院で学び、ソプラノ歌手であった。コンスタンチアにはとりまきが多く、内向的なショパンには彼女に想いを打ち明けるどころか、声をかけることすらできなかったと思われる。繊細なショパンにとっては並の苦しみでなかったであろう。その苦しみ故にショパンは故郷を出る決意をするのではないだろうか。
ショパンは29年10月にラジヴィウ公に招かれ、1週間ほど滞在した。ショパンの才能はラジヴウ公に高く評価され気に入られていたからである。このラジヴィウ公自身はかなりの音楽家だったらしくショパンと気が合った。また公には二人のきれいな娘がいて、ここでの滞在は恋に悩むショパンにとって心地よいものであった。
ワルシャワデビューと別れ
ショパンは1830年3月17日にワルシャワ国立劇場で初めての演奏会を開いた。この演奏会でショパンは自作のヘ短調のピアノ協奏曲を演奏し、大成功を収めた。さらに数日後に2回目の演奏会を開き、これもまた大成功であった。その後ショパンは外国へ行く用意を進めるが、政情不安なため旅立つことはできず、そうこうしているうちに、ホ短調のピアノ協奏曲が完成した。
10月には新作のホ短調の協奏曲を初演した。この演奏会はショパンがワルシャワで開いた最後の演奏会となった。この3回目の演奏会は前の演奏会にも増して満員で大好評であった。この演奏会にはコンスタンティアもソプラノとして参加している。
そしてついに、11月にショパンは友人達に見送られ、故国を発つのであった。その中には師エルスナーの姿もあった。この時ショパンは、ワルシャワの土を詰めた杯を受け取った。その土は、ショパンの死後、パリにあるペール・ラシェーズ墓地にショパンが埋葬される際、ショパンの棺の上から振りかけられた土である。
ショパンは異国の地に埋葬されても、故国の土の下で眠っているのである。故郷を出たショパンは再びヴィーンに向かうのである。
ピアノ協奏曲第1番 ホ短調
ショパンの若き頃の野心、感性が溢れるピアノ協奏曲。不思議なことにショパンはこの2曲しかピアノ協奏曲を作っていません。しかし、ショパンのピアノ協奏曲の凝縮感は他に類を見ないほど魅力に溢れています。
いったいどうやって二十歳前後の若者がこれほどの傑作を2曲も作曲することができたのでしょう。第1楽章の音楽性、第2楽章の甘い旋律、第3楽章のピアニズム。どれをとっても超一級品です。
演奏はマルタ・アルゲリッチ。天衣無縫な演奏は、一度聴くと他のピアニストのCDが聴けなくなります。完璧なダイナミズムを堪能できる稀有な演奏です。
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