ワルシャワ革命
ショパンの絶望と怒りの昇華した「革命のエチュード」は傑作として名高い。ここでは「革命」が作曲された経緯を記述します。
ヴィーンへ
ショパンは故郷ワルシャワを出てヴィーンを目指した。そして11月末日にはヴィーンに到着した。到着してから一週間後に、ワルシャワでロシアに対する反乱が起きたという知らせを受け、ショパンは不安になった。その後4ヶ月間はショパンは演奏会も開けず、考えていたイタリアに行くこともなく、結局翌年の7月まで何もできずにヴィーンで過ごしている。
当時ヴィーンではシュトラウスのワルツが流行していたが、ショパンはあまり関心を持たなかった。とはいえこの時期に書かれたと思われる「ワルツ作品18」はヴィーンの華やかなワルツの影響を受けているように思える。1831年7月にはショパンは何の成果もなかったヴィーンを後にする。
ワルシャワ革命
ヴィーンを出発したショパンはザルツブルク、ミュンヘンなどを経由して、9月7日から8日にかけて、ショパンがシュトゥットガルトという街に着いた。そこでショパンはワルシャワがロシアの攻撃を受けて陥落したという知らせを受ける。
この知らせにショパンは驚き、憤慨する。さらに故郷の家族や友人たちと連絡が取れなくなり、ショパンは絶望と孤独の内に陥った。
元々繊細で女性的なショパンは、ただでさえ故郷を離れ鬱状態にあり、さらにヴィーンで何の成果もなかったことに落ち込んでいた。そこに追い討ちをかけるように悲劇的な知らせを受けたショパンの心情は察するにあまりある。
この時期に書かれたショパンの作品の中に、ピアノを攻撃するかのような激しい曲が幾つかある。俗に言う「革命のエチュード」、前奏曲ニ短調(作品28-24)、ロ短調のスケルツォなどである。これらの曲は真に劇的で、絶望、悲憤、苦しみ、怒りなどが込められている。
ある意味、マズルカやポロネーズなどよりも、ポーランド的であるように感じることがある。そしてこれらの曲は後年のソナタ変ロ短調やポロネーズ嬰へ短調へと繋がっていく。写真は「革命」の自筆譜。
2つのワルツ
ウィーンで一世を風靡していたシュトラウスのワルツは華やかで楽しい親しみやすい音楽。当時の上流階級の間でワルツを嗜むことが一大ブームになりました。その火付け役はヨハン・シュトラウスのワルツと言って過言ではないでしょう。
あまりに俗っぽい音楽であったため、ショパンはあまり好きではありませんでした。そして、ショパンは自分独自のワルツを作曲しました。シュトラウスのワルツと異なり、ショパンのワルツは完全な詩の世界。ピアノという楽器を使って、あくまで自分の世界を表現しているのがショパンのワルツ。
同じワルツでもシュトラウスのワルツは全く違う世界が展開されています。
革命のエチュード
ピアノ音楽史上、ベートーヴェンの「熱情」と並ぶ最高傑作に挙げられるショパンのエチュードは、ピアノのために書かれたエチュードとしては他の追随を許しません。溢れる詩情、溢れるピアニズムは絶妙にマッチし、これほど自然発生的に生まれたエチュードが他にあるでしょうか。
チェルニー、リスト、ドビュッシー、ラフマニノフ、シューマンなど名だたる作曲家は皆ピアノのための練習曲を作曲しましたが、ショパンのレベルには達していないと思います。
演奏はポリーニの超名盤がお勧め。賛否の分かれる演奏ですが、エチュードの本質に迫ることのできる完璧な演奏です。これを好きと思うか、好ましくないと思うか、どう感じるかはあなた次第です。









