パリでのデビュー
ショパンの生涯・生い立ち
故郷ワルシャワを発ったショパンは残りの生涯全てを過ごすことになるパリに到着します。
パリに到着
1831年9月末にショパンは当時最大の都市パリに到着した。当時のフランスは革命後の混乱の中にあった。フランス革命で王政は潰され、市民は権利、自由などを歌った。ショパンは到着してすぐにデモや騒乱に遭遇し面食らっている。
あらゆる自由や混沌が入り混じる激動のパリ。バルザックをして「愛すべき地獄」と言わしめたパリ。そうした気風の中、パリには多くの芸術家が集まっていた。文学者ユゴー、バルザック、ラマルティーヌ、ゴーチエ、ミュッセ、サンド、シャトー・ブリヤン、詩人バイロン、画家ドラクロワ、音楽家ではリスト、ロッシーニ、ベルリオーズ、マイヤベーアなどがいた。
こういった最高の芸術家の中にショパンは仲間入りをした。文化の中心であったパリにはオペラ劇場も多くあり、オペラ好きのショパンはマイヤベーアやロッシーニのオペラを観に度々劇場へ足を運んだ。
パリデビュー
ショパンのパリでの初演奏会は1832年2月26日である。カルクブレンナーという当時ヨーロッパ随一のピアニストを知り合ったショパンは、カルクブレンナーの協力で演奏会を開くことになった。 なおこのカルクブレンナーにホ短調の協奏曲が献呈されている。曲目はピアノ協奏曲ヘ短調、ラ・チ・ダレム変奏曲、ノクターンなどであった。
この演奏会は大成功で、多くの注目を集めた。メンデルスゾーンもショパンの演奏に熱狂した一人であった。またリストはショパンの演奏に対して「どんなに拍手を送っても足りない。彼はピアノ演奏において、詩的な情感に新たな境地を切り開いた」と述べている。ショパンはさらに2回目の演奏会を開いた。
ショパンはロッチルト家の男爵と知り合う。このロッチルト家はヨーロッパで名も財力もある名家であった。こうしてショパンの交際範囲は上流階級にまで広がった。
フランス・リストとショパン
リストはショパンのライバルとされることが多いようですが、実際にはリストがショパンの才能に嫉妬し、一方的にライバル視していたようです。ショパン自身は特にリストを意識してはいなかったのではないでしょうか。むしろ、偉大なるピアニストとしてのリストに尊敬の念を抱いていたのではないかと思います。
リストとショパンは同年代ですが、ショパンが若い頃から作曲家として名を上げたのに対して、リストは最初に演奏家として有名になりました。作曲家としてのリストの才能が開花するのはショパンの死後くらいからです。
このCDはそんなリストの選りすぐりの名曲が堪能できます。結婚式でよく演奏される「愛の夢」、有名な「ラ・カンパネラ」、シューベルトの「魔王」編曲版、超絶技巧で有名な「メフィスト・ワルツ」など。
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