マリア・ヴォンジスカ
ショパンの生涯・生い立ち
ショパンとかなり良い仲に発展とされるしたマリア・ヴォンジスカとの出会いについてです。
1835年の夏、ショパンは自分の両親とボヘミアで会っている。ショパン自身にも両親にも、とても喜ばしい出来事であった。3週間ほど一緒に過ごし別れている。これ以降はショパンは両親と会うことは二度とない。両親と別れる際のショパンの落胆振りは容易に想像がつく。帰路、ショパンはドレスデンに立ち寄りヴォンジスカ伯爵一家と会う。
この一家はショパンと知り合いであった。ショパンは数年ぶりに会ったヴォンジスカの娘マリア(当時16歳)に心を奪われてしまう。絵を見る限り美人には見えないが、かなり魅力的な女性だったであろう。マリアはピアノが達者でショパンのバラードを弾きこなすほどの腕前であったらしい。
ショパンは両親と別れた後で落ち込んでいた。そこへ、まるでショパンの心の傷を癒すようなタイミングでマリアと再会したのである。ショパンはドレスデンで夢のような数日を過ごす。ショパンは9月末日にパリへ向けて出発するが、別れ際にマリアに変イ長調のワルツを贈った。
ショパンは次にライプツィッヒを訪れ、シューマン、クララと初めて顔を合わせる。クララとシューマンは後に結婚することになる。このクララという女性はかなりの腕前を誇るピアニストだった。またメンデルスゾーンとも再会した。そしてようやくパリに帰るのであった。この年の冬、ショパンはひどい流感にかかってしまう。この病気がマリアとの恋の大きな障害になってしまう。
婚約破棄
1836年夏、ショパンはヴォンジスカ家の誘いを受けて、マリーエンバートという温泉地を訪れた。ショパンはマリアと夏を一緒に過ごす。そしてなんとショパンはマリアにプロポーズをする。マリアは承諾したのだが、マリアの家族が間に入った。結局二人は結婚することはなかった。
二人の婚約が解消されたのは1837年。いろいろな原因が考えられる。ショパンの病気体質をヴォンジスカ伯爵夫人は見逃さなかった。さらにヴォンジスカ家は名門の貴族でショパンと釣り合う筈もなかった。
そして最大の謎がある。マリア自身ショパンのことをどれくらい想っていたかということである。元々マリアは相当もてた女性であった。ひょっとしたらショパンのことを自分の取り巻きの一人とくらいにしか考えていなかったのかもしれない。
ショパンがマリアを愛していたのは間違いないであろう。ショパンはこの失恋に傷ついた。それはこの時期に作曲された曲に影響している。変ロ短調のスケルツォや、後にピアノ・ソナタ第2番の第3楽章になる葬送行進曲である。傷を負ったショパンはついに、恐らくショパンの人生に最も大きな影響を与えた人物と出会うことになる。
36年の夏、前年と同じく帰路にシューマンと会う。ここでショパンは長い年月をかけて完成させたバラード ト短調を披露し、シューマンは絶賛する。この時ショパンは「バラード 第2番へ長調」、シューマンは「クライスレリアーナ」を互いに献呈した。
ショパンはパリに戻った。そして、いよいよ運命の人”ジョルジュ・サンド”と出会うことになる。
シューマン クライスレリアーナ
シューマンの最高傑作とされる狂気の音楽「クライスレリアーナ」。むせかえるような情熱の嵐と不思議な不気味さ、時折現れる美しい表情は聴きなれないとやや難解かもしれません。しかし、その難解さを超えてシューマン独自の音の世界に辿り着くと、ショパンとはまた違う楽しみが広がります。
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