ジョルジュ・サンド
ショパンの人生に最も大きな影響を与えたジョルジュ・サンドとの日々。
ジョルジュ・サンドはフランスの女流作家で1804年に生まれた。つまりショパンより6歳年長である。サンドがパリにやってきたのは1831年のこと。彼女はパリに自由を求めて、多くの芸術家の中に飛び込んだ。サンドはやがてリストと親しくなる。
そして1836年の秋、リストらと過ごす夜会でショパンと出会う。ショパンはちょうどマリア・ヴォンジスカと婚約し、まだ破談になる前の時期である。サンドは葉巻を吸い、男物の外套と身にまとい、ズボンをはくという、当時の女性としてはかなり風変わりな人物であった。ショパンは「本当にあれが女か?」と言ったという。この夜会以降ショパンとサンドは親しくなる。
1837年にはショパンとマリアの婚約は解消される。それはショパンにとってはつらいことであったが、代わってショパンの心を占めるようになったのがサンドであった。この時期に作曲されたスケルツォ第2番 変ロ短調は、悲劇的な部分と幸福な部分とが交互する傑作で、ショパンの心が鏡の如く反映されている。
マジョルカ旅行
1838年の秋、ショパンは療養のためにサンドとマジョルカ島に行く。ところが療養のために行ったマジョルカで、ショパンはかえって体調を崩してしまう。サンドはショパンを懸命に看護した。ショパンもサンドもこのマジョルカ滞在で散々苦労をし、得るものは少なかった。それでもショパンは最高傑作の一つ"24の前奏曲集"を完成したのであった。ショパンとサンドは半年ほど滞在した後、マジョルカを去った。
ノアン
そしてイタリアへ行った後、1839年6月にノアンにあるサンドの城に着いた。ノアンに戻ったショパンの体調は回復し、ショパンの最高傑作の一つ「ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調」をここで完成させた。これ以降、ショパンはサンドと訣別するまで、夏をノアンで過ごし多くの傑作を生み出す。
この年の10月にショパンとサンドはパリに戻った。1840年はパリで過ごし、「ノクターン 作品37」、「バラード第2番」、「スケルツォ第3番」などが次々と作曲された。1841年の夏はノアンで過ごし「バラード第3番 変イ長調」や「嬰へ短調のポロネーズ」などを完成させた。
ジョルジュ・サンド
ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」は田園小説として名高い傑作です。のどかな田舎の風景の中に描かれる男女の三角関係は美しく、少し悲しい物語。思い浮かぶような情景と、誰もが共感できる愛情の描写はフランス文学の中でも輝かしい光を放っています。
24の前奏曲集
ジョルジュ・サンドとの良好な関係の中で生まれた傑作である英雄ポロネーズ、ピアノ・ソナタ第2番、24の前奏曲集が収録されたCDです。ショパンの円熟期の傑作は、サンドとの幸せな日々がショパンに旺盛な創作意欲を与えたと考えて良いでしょう。









