ジョルジュ・サンドとの訣別
ショパンの生涯・生い立ち
サンドと過ごす日々は、ショパンに大きな力を与えました。この時期に生み出された傑作は数知れず。しかし、そんな日々にも終止符が打たれます。
ドラクロワ
1842年の夏はドラクロワと親しくなった。ショパンとドラクロワは互いの芸術を尊敬し合うようになる。ドラクロワはモーツァルトを愛し、音楽に通じていた。またショパンの音楽のよき理解者であった。
ドラクロワの回想記に興味深いショパンの言葉が載っている。「モーツァルトには極めて自由奔放な独創性があり、それはモーツァルト独自のものである。各声部が独自の道を進みながら、新たな異なるハーモニーを生み出す。これが対位法である」。このドラクロワとの出会いはショパンに大きな影響を与える。スケルツォ第4番、バラード第4番、英雄ポロネーズなどの最高傑作は、全てこの時期に作曲されている。右の絵はドラクロワの自画像。
父ニコラスの死
1844年5月、ショパンの父ニコラスが世を去った。ショパンはこの知らせに大変な衝撃を受ける。しかしショパンは彼の最も偉大な作品である「ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調」を作曲した。この曲の完成以降、ショパンの人生の歯車は狂い始める。
サンドとの別れ
ショパンとサンドの最初の衝突は1845年の夏。これ以降サンドとショパンの亀裂は大きくなり1846年には、二人の中はもはや修復不可能なものとなる。しかしそれでもショパンはサンドのことを忘れることはできなかった。
ショパンは死ぬまでサンドの髪の束を自分の日記にはさんでいたという。サンドと別れたショパンは気力、体力共に衰弱し始める。そんな辛い日々の1846年ではあったが、ショパンは幻想ポロネーズ、舟歌という傑作を生み出している。これらショパンの最後の傑作であり、白鳥の歌である。右の絵はドラクロワの描いたサンド。この絵は元々ショパンとサンドが同時に描かれた一つの作品だったのだが、後に二人の絵は別々に切り分けられた。
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